語彙力のないおたくが推しの語彙力について語る

 

こんにちは、おたくです。

 

 

以前の記事“下半期”でちょろっと言葉というものの偏見について触れたので、暇を見ながら「言葉」の話をしようかなと。

 

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  なんで「言葉」というものについて話そうと思ったのかと言いますと、昨年末の「おれパラ」両国公演で寺島拓篤さんのMCに感化されたというのが主な理由です。みなさんご存知の通り、おたくはちょろいオタクの中でもトップオブちょろオタなのです~~ぐ感化されて何か言いたくなるし書きたくなるんですよね。

 

離れてすでに2年近く経っているので余計な偏見が無くなったからなのか、ただ単に今の推しさんで満ち足りているからなのか。まあ後者寄りの両方であると考えられるわけですが。

 

 

 

 推してる時から口にしていたのですが、私は寺島拓篤さんの選ぶ言葉が好きでした。日本語が綺麗だなっていつも思っていました。昨年放送された「sound scape」にゲストとして出演された際、34問34答では自分の長所に「好きなものを好きって上手に伝えられるところ」と仰っていたのがとてもらしいなと思いました。自己分析が上手いというか、プラスもマイナスもそれなりにわかっているんだろうなあという感じ。

 

ちなみに短所は「ぎりぎりまでやらない」ところだって。

 

 

 

その点でいうと今の推し、仲村宗悟さんはボキャブラリーというところではまだまだ、と個人的には感じています。

 

なんていうか日本語不自由じゃないですか?(突然のディス)

 

でも、仲村さんには今のままでいてほしい。あ、引き出しは増やしてほしいです。日本語が不自由っていうのは、出せる引き出しが少ないからだろうし、決して仲村さんの選ぶ言葉が嫌っていう訳じゃないから。寧ろ、持てる語彙の中で言葉を選ぶのは上手いんだと思う。

 

座右の銘は「知識は誰にも奪われることのない財産」だそうです。帆世さんに笑われてたけど。

 

 

自分が感じているものを表現する力のひとつとしてやっぱり「言葉」っていうのは重要で、上手く操ることができたら感情の100%を、それ以上を相手に正確に伝えることが可能になるわけで、裏を返せばまったく違うように受け取られてしまうこともあるわけです。バズったり、燃えたりの境界線って意外とこういうところなのかもしれない。

  

 

 寺島さんの選ぶ言葉は、比喩とか、表現がきれいで、すっと入ってくるような、スマートな印象を受けます。ご自身のブログを持っていらっしゃいますが、長文を投げられても最後まですらすらっと勢いで読めてしまうような、そんな投稿が多いように思います。個人的には短文で投げられるとちょっと物足りないかなって感じちゃう。ピンポイントに言いたいことだけ言われても特に印象に残らない。たぶん、書き出し・話の頭から自分が話したいことまでの道筋も含め、そして時々飛び出す隠しきれないオタクトークも含め、彼の言葉なんだと思います。

 

 

一方で仲村さんの選ぶ言葉は、まっすぐで、じんわり滲むような、1音1音がやわらかいイメージ。仲村さんはご自身のTwitterが発信源(チョクメもそうですが頻度や購読層を考えるとやはりTwitterが優位)で、短い文の中で印象強く言葉を投げかけることが出来る人なんじゃないかなあと思います。逆に長文になってしまうとはっきりと伝えたいことが霞んでしまっていまいちピンと来なかったり、自分で話していても「なんだろうなあ、」と間に置くワンクッションが多くなってくるように思います。まあTwitterでは何を言っているのか理解しがたい場面にも度々遭遇しますけどね!!!!(大声)

 

 

正直、人柄が出るなあと。あくまでわたしが推してきた中で感じ取ったものなので、価値観とか含めすべてに同意・共感が欲しいわけではないです。

 

寺島さんって、ご自身でもよく仰っていますがオタクじゃないですか。だからそういう観点でファン・オタクの気持ちになって物事を発信できるんだと思うんです。

今のおたくのメインジャンルが某アイドルコンテンツなのでそこで感じたことからでしか書けないんですけど、あの中で彼はアイドルとしても、中の人としてもひとつ先輩だと思うんです。いくらイニシアチブはないと言ったって、物事には順番っていうものがあるから。一直線上の並列にはならないわけです。

それでも埋もれるのが上手いというか、埋もれようとしている姿が見られるので、そういうところが後輩や同業の方に受け入れられた結果の今のポジションで、あの言葉選びになるのかなと思います(まあ色々あったと思うので現状が全てではないだろうと察しますけど)

 

 

一方の仲村さんはというと、今の自分がどうこうというよりも、今日までの自分全てでわたしたちに発信してくれているように感じられます。

たぶんそれは意識的なものもあれど、大半は無意識的にやっていることのような気がするんですよねえ。まあこれで全てが計算でしたと言われたらもう何も信用できない。それはないと胸を張って言えるのでこういう書き方をしたわけですが。

 それでいて某コンテンツでは真ん中に立っている自覚の様なものがあって、ステージの上にいようが、裏で待機していようが、みんなの姿を見て声を掛けていく視野の広さや余裕があるの、あまりにも人として出来過ぎなのではと思ってしまいます。(推しを甘やかす天才)

まあここまで書くと以前の推しべた褒め投稿に通じてしまうのでリンクだけ置いておきますね(宣伝)

 

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推し事をしているとどうしても贔屓しちゃうしフィルターかけちゃうんですけど、おたくの中で揺るがなく大事にしている「言葉」の話をだらだらと書いてみました。

降りてもこの人の選ぶ言葉は好きだなあと感じたので、そこから派生して綴ってみたわけですが、思っているだけでなくて、こうやって不定期に自分の言葉をアウトプットする時間も大事にしていきたいなあと。

 

 

 

 

久しぶりに長文書いたら満足したのでまた短文Twitterランドの住人に戻ります!

 

書きためている下書きはちらほらありますが、次の大きな更新は上半期振り返りかな~、そのときはまたおたくの戯言にお付き合いいただけますと幸いです。

 

 

 

 

ちなみに、今年その降りた元推しと推しさんほぼ同じ頻度で会ってるから人生何があるかわからないよね!

 

 

 

 

 

それではみなさんまた現場でお会いしましょう(遺言)